お米の由来

「沢内三千石 お米の出どこ 枡ではからねどコリヤ 箕ではかる」

(東北岩手の代表民謡沢内甚句)

この歌の文句のお米は、およね箕は身と解釈したとこから沢内甚句の起源について問題を投げたのであります。

天保の大飢饉は七年間も続き、その間一年位は良い年もあったが大体半作、三分作が多く天保四年の冬の農民生活を記したものには「牛馬死んでも捨てず」犬猫迄喰う者多く有り、餓死する者数知れず親は子を捨て云々とその当時の悲惨な状景を表しています。

従って納税であるお倉米を納めることが出来なかった為農民が相談して沢内一番の美人を探して殿様に差出し年貢米の代わりとする事になり漸く新山の旧家であり本家様の吉エ門の娘が良いという事になったが一族から色々と異論反対が出て仲々決まらなかった。しかしこの娘およねが考えた末、沢内を救う為死んだ気で行ったという伝説があります。

尚、現在沢内村浄円寺におよね地蔵尊が鎮座してあり九月十五日に供養祭が行われています。